いつも読んで頂いて、ありがとうございます。
一昨日から、お通夜・お通夜・葬儀と
命の大切さ・身近な人がいなくなるという事を
考えさせて頂ける機会がありました。
僕の父は、店をはじめる一年前に亡くなりました。
その時は、すべての事についていくだけで精一杯で、
頑張って家族を守ろうだとか、どうやって生活を
していこうだとか、そのような事ばかりで、
完全に心がついてきていませんでした。
僕が病気をして、考え方に・考える事に変化が
おとずれて、このような時に少し気付けるように
なってきました。
喪主さんの話やご住職のお話を聞いて、
僕の中でかみ砕いてみた事を書いてみたいと思います。
故人はもとより家族や大切な人がいる方は、
みんなが幸せに健康に人生を過ごしてほしいと
願っていると思います。
僕は病気をして、自分が死んでしまったら家族は
幸せに生きていけるだろうか?
僕がいてもいなくても、幸せでいてほしい。
僕がいた方が幸せに違いないと、思って治療に励みました。
先日亡くなられた方々も、きっと家族の事を心配し、
幸せを切に願われているのだと思いました。
だから、必死で少しでも長く一緒にいようだとか、
心配事があるから、まだやってあげたい事があるからと、
生きる力を振り絞って最期の時まで懸命に生きられたの
だと感じました。
僕は、神社仏閣・神棚・仏壇・お墓で、ついお願いを
してしまいます。
でも、神様も仏様もご先祖様もみんな僕たちの幸せを
願って下さっている。
だから、お願いをせずともお礼をして自分の決意を
表明するだけで良いんだなと思いました。
幸せを願って下さっていると思うだけで、
本当に有難いと感じます。
自分が家族や大切な人達の幸せを願うように、
ご先祖様も僕の幸せを願ってくれているんだと、
改めて感じさせてもらえる期間でした。
そして、お亡くなりになった方の為にも、
ご家族が笑顔で毎日過ごす事が、本当に
ご供養になるのだなと思いました。
それを望まれているので。
これから家族や大切な人達はもちろん、
少しでもかかわらせてもらっている方々が幸せで
いられるように願い、ほんの小さな事しかできないかもしれないけれど、
何かできる人になりたいと思います。
最期まで読んで頂いて、ありがとうございました。
何か宗教的な話?と勘違いしないでくださいね。
僕は一般の方と宗教観は変わりないと思います。
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